トヨタがミッレミリア初参戦!初代クラウンで本場のクルマ文化に挑んだ1600km
ル・マン24時間耐久レースでTOYOTA Racingが劇的勝利を飾った同じ週、イタリアではもう一つの“原点”とも言えるイベントが静かに、しかし華やかに開催されていた。世界で最も美しいヒストリックカーラリー「ミッレミリア」だ。2026年、トヨタは日本の自動車メーカーとして初めてこの伝統のラリーに参戦。豊田章男会長が掲げる「クルマを文化に」という想いを体現すべく、本場イタリアのカルチャーに挑んだ1600kmの旅を追った。
ミッレミリアはイタリア語で「1000マイル(約1600km)」を意味する。1927年に始まったこのレースは、当初一般道を全開で走るガチンコレースだったが、1957年の大事故を機にタイムの正確性を競うラリー形式へと移行。現在は「当時出場した車か、同型の車のみが参加できる」世界最高峰のヒストリックラリーとして受け継がれている。
これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro 今回の参戦のきっかけは、リアルドライビングシミュレーター「グランツーリスモ」のプロデューサーである山内一典氏が、2019年にミッレミリアでCOOのフランチェスカ氏と出会ったこと。そこから「日本車を走らせる」企画が温められ、トヨタのサポートによって実現した。トヨタ側の責任者は、16代目クラウンのチーフエンジニアであり、現在はセンチュリーシリーズを担当する清水竜太郎氏。
「クラウンは70周年という大きな節目を迎えましたが、海外ではブランドが知られていません。豊田章男会長の『クルマを文化に』という想いのもと、まずは自分たちが本物のクルマ文化を学び、『クラウンって何だろう?』と海外の人に知ってもらうきっかけにしたい」と清水氏は語る。
さらに、今回の挑戦にはもう一つの重要なテーマ「人材育成」が込められていた。豊田氏からは「本来こういう古いクルマはベテランが無難にやり過ごすのが簡単。けれど、これからのトヨタを背負っていく若手を連れて行きなさい」と明確な指示があったという。ドライバーの竹原憲吾氏やコドライバーの徳田氏をはじめ、運動性能やパワートレイン開発から選ばれた若手たちが抜擢され、異国の地での極限体験が成長の糧となった。
トヨタがミッレミリアに持ち込んだのは5台。初代クラウン(1959年製1900cc)は、1957年にオーストラリア横断ラリーに参戦し、トヨタとして初めて海外モータースポーツの第一歩を踏み出した歴史的原点。トヨタ2000GTは、WRC TGR-WRTチーム代表のヤリ-マティ・ラトバラ氏もステアリングを握ったフラッグシップスポーツ。トヨタスポーツ800(ヨタハチ)は大衆車ベースの軽量スポーツ、スープラ(A80系)はニュルブルクリンクで開発されたJDMの象徴、レクサス LFAはニュル24時間レース挑戦を通じて生まれたプレミアムスーパースポーツだ。
これらの車両は、愛知県蒲郡市の研修施設「KIZUNA」、トヨタ博物館、欧州拠点のTME(ベルギー)、Lexus UK(イギリス)から集められた。特に初代クラウンは、ミッレミリアの認証を得るために車体番号とエンジンナンバーが一致する「マッチングナンバー」が必須で、ヨーロッパの「血統書」を重視する文化に大きな学びがあったと清水氏は振り返る。
チームウェアにあしらわれた緑色は、トヨタの「安全」と「よい品よい考」を象徴する伝統色「常盤色(ときわいろ)」。5台の車両には、トヨタグループが創建した交通安全のお寺、蓼科山・聖光寺(長野県)のお守りとステッカーが授与され、過酷な旅路を見守った。
実際の走行は、封鎖されていない一般公道で行われるため、対向車線も使いながらの1600km。山内氏は「世界一危険なレース。ニュル24時間レース以上にピリピリする」と語るほど緊張感の高いものだった。初代クラウンは猛暑と激しい峠道でトラブルに見舞われ、最終日には1気筒が死んで「3気筒」状態に。それでも満身創痍のなか、5台揃ってブレシアのゴールへ辿り着いた。
清水氏は「この文化を肌で触れられたので、車作りに繋げていきたい。ミッレミリアは来年(2027年)に100周年を迎える。100年後も同じように愛してもらえるクルマを開発できるようにしたい」と総括。今回の参戦は「クラウン70周年」がきっかけだったが、2026年に60周年を迎えた「カローラ」が、来年のミッレミリア100周年の舞台でどうなるのか、期待が高まる。
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